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十八史略後漢編


このサイトの公開20160306制作ギョロ
218
後漢の時代。近衛隊長のカ復は太守の寇恂(こうじゅん)に
部下を処刑されて恨んでいました。
それを知った光武帝は二人を和解させようとするのでした。
219
後漢の時代。
洛陽長官の董宣(とうせん)が帝の姉の下僕を処刑しました。
怒った帝はつえで打ち殺そうとしましたが
返って自殺すると言って柱に頭をぶつけるのでした。
間違いに気付いた帝はどうするのか???
220
後漢の時代。
匈奴が北と南と別れました。
南匈奴と結んだ光武帝は北匈奴を圧迫かく乱するのでした。
221
後漢の時代。
微則(ちょうそく)、微弐(ちょうじ)姉妹が独立運動を起こし
他まで波及しました。
光武帝は馬援(ばえん)に伐たせるのでした。
222
後漢の時代。
西域諸国に莎車(さしゃ)王賢(けん)がしきりに侵していました。
侵された国々は光武帝に助けを求めるのですが・・・・・。
223
後漢明帝の時代。
功臣達の肖像画を描く事になったのでした。
224
後漢明帝の時代。
北匈奴が一旦反抗した者の和睦を申し込んできました。
すると南匈奴が動揺して面倒が起きました。
そこで明帝はある事をするのでした。
225
後漢明帝の時代。
班固と言う男が漢書という歴史書を書いていました。
しかし中傷を受けて捕まります。
弟の班超はどうするのか?
226
後漢明帝の時代。
班超は北匈奴征伐に行き一支隊の長になりました。
そして蒲類(ほるい?)を落とそうとするのでした。
227
後漢明帝の時代。
班超一行はゼン善に行くと北匈奴の使者は礼遇され
班超一行は粗略に扱われました。
これはいかんと思った超は36人の仲間と供に
北匈奴一行に夜襲をかけるのでした。
228
後漢明帝の時代。
班超一行は于(う)テンへ行きそこで、
王が一人の巫女の言いなりになっているのを
目の当たりにしました。
しかもその巫女は班超一行恨んでいたので
王の対応も冷たいものでした。
そこである事をするのでした。
229
後漢明帝の時代。
亀茲(きじ)王が北匈奴を頼みに王を勝手に取り替えました。
班超はその傀儡(かいらい)王を探すのでした。
230
後漢の時代。
明帝がしに章帝がたちました。
するとそののごたごたに乗じてエンキと亀茲(きじ)の二国が背くのでした。
231
後漢の時代。
班超は背いた国々を攻めるのでした。
232
後漢の時代。
大月氏が7万の兵で攻めてきました。
はたして班超軍は勝てるのか?
233
後漢の時代。
班超の後任の任尚(じんしょう)は超から教えを乞うのでした。
234
後漢の時代。
竇太后(とうたいごう)の兄の竇憲(とうけん)が
太后が信任した劉暢(りゅうちょう)を暗殺しました。
そして憲は太后にばらして口止めさせるのでした。
235
後漢の時代。
竇憲(とうけん)は暗殺の疑いを消す為、
漢軍として匈奴討伐に行くのでした。
236 後漢の時
代。
竇憲(とうけん)の専横のひどさに和帝は彼を
倒すと決め、宦官の鄭衆(ていしゅう)の力を借りるのでした。
237
後漢の時代。
安帝が死に少帝がたちました。
しかしそれは望まれない帝でした。
そこで孫程(そんてい)を中心とする
19人の宦官達が暗躍するのでした。
238
後漢の時代。
梁冀(りょうき)兄弟の専横に憤慨した
張綱(ちょうこう)は帝に訴えるのでした。
239
後漢の時代。
梁冀(りょうき)兄弟は張綱(ちょうこう)を
凶賊のいる所を左遷しました。
張綱は凶賊のボス張嬰(ちょうえい)を説得にかかるのでした。
240
後漢の時代。
太守の揚震(ようしん)は県令の王密(おうみ)に賄賂を渡されます。
揚震は彼を諭すのでした。 241
後漢の時代。
冲帝が死に質帝がたちました。梁冀兄弟を嫌っていた彼は
逆に命を狙われるのでした。
242
後漢の時代。
冀洲の刺史の朱ボクはある宦官の非を追求しました。
恨みに思ったその宦官は帝に讒訴して獄に落しました。
そこで劉陶(りゅうとう)等官僚達が帝を説得するのでした。
243
後漢の時代。
梁冀兄弟の余りの専横に帝は
五人の宦官の力で彼を失脚させようとするのでした。
245
後漢の時代。
梁冀兄弟を倒した五人の宦官は
「五邪」として悪政をほしいままにするのでした。
246
後漢の時代。
将軍皇甫規(こうほき)が「五邪」によって獄に繋がれました。
それを知った張鳳(ちょうほう)は仲間をデモに誘うのでした。
247
後漢の時代。
侯参(こうしん)という男が刺史になりました。
彼は職権を乱用して巨万の富みを積もうとするのでした。
248
後漢の時代。
李膺(りよう)とう男がいました。
彼は宦官から恐れられていました。
宦官達は帝の信頼を無くすべく彼を陥れようとするのでした。
249
後漢の時代。
宦官達は李膺(りよう)を陥れるのに飽き足らず
党人達を捕らえようとするのでした。
250
後漢の時代。
桓帝が崩じ霊帝がたちました。
その為宦官の力が弱められるかと思われました。
しかし彼等はクーデターを起こし
陳番(ちんばん)竇武(とうぶ)、劉淑(りゅうしゅく)を
捕らえようとするのでした。
251
後漢の時代。
宦官達は邪魔者を次々と消していきました。
邪魔者の一人張倹(ちょうけん)は逃げるのでした。
252
後漢の時代。
宦官の曹節(そうせつ)が主権をとっていたころの話。
彼が侵した罪を暴いた謎のビラがまかれました。
そこで段ケイと言う者に命じ犯人探しをさせるのでした。
253
後漢末期、救世主があらわれました。
男の名は張角(ちょうかく)、不思議な力で
病を治したりそれ以外も救ってくれたりすると言うのです。
君は彼に救ってもらう為彼の元へ行くのでした。
254
後漢末期。
張角(ちょうかく)は、信者を集めて漢との戦いに備えるのでした。
255
後漢末期。
張角(ちょうかく)たち、それに続くかのごとく
黄巾(こうきん)軍がたちました。
朝廷軍は都の近くでたった黄巾軍と戦うのでした。
256
後漢末期。
張角(ちょうかく)軍を攻める盧植(ろしょく)でしたがすぐに倒す事ができません。
そこで朝廷は董卓(とうたく)にバトンタッチさせるのでしたが・・・・。
257
後漢末期。
張角(ちょうかく)軍を攻める朝廷軍でしたが
守りが固く攻められません。
そこである策を使うのでした。
258
後漢末期。
霊帝が死に弁がたちました。
霊帝の皇后の兄何進(かしん)が宮廷一の実力を持ちました。
そして宮廷に巣食う宦官達を誅殺する事を計画しました。
それを知った宦官蹇碩(けんせき)は何進を殺すよう
仲間に手紙を書きました。
はたしてばれずに渡せるのか?
259
後漢末期。
宦官によって何進(かしん)が殺されました。
これを口実に宦官殺しが始まるのでした。
260
後漢末期。
宮廷の騒ぎから逃れるべく天子一行は
都を逃げ出しました。
それを董卓が追うのでした。
261
後漢末期。
実権を握った董卓はやりたい放題するのでした。



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