十八史略戦国時代編
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はるか古代の中国戦国の時代。
智伯瑤(ちはくよう)を倒した趙の無ジュツ。
彼を暗殺せんと智伯瑶の元食客の予譲(よじょう)が狙うのでした。
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はるか古代の中国戦国の時代。
韓の宰相侠累(きょうるい)と仲が悪い厳仲子(げんちゅうし)は
侠累と争いひどく罵られた上職を失ってしまいました。
恨みに思った厳仲子は聶政(じょうせい)と言う人物に暗殺を依頼するのでした。
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はるか古代の中国戦国の時代。
ある所に呉起(ごき)と言う男がおりました。
彼は才能があり、魯、魏の将軍を経てついに楚の宰相になりました。
しかし無慈悲な法令で犠牲者を多く出し恨みを買い続けていました。
そして彼の擁護者であった悼王(とうおう)が死んだ途端
呉起の家に彼を恨む暴徒達が襲い掛かるのでした。
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はるか古代の中国戦国の時代。
ある所に公孫鞅(こうそんおう)と言う男がおりました。
最初彼は魏に仕えていましたが、昇進しないと見切りをつけ秦へ向かいます。
そして秦の孝公(こうこう)に謁見するのでした。
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はるか古代の中国戦国の時代。
秦の孝公(こうこう)が死に、恵文(けいぶん)王が位につきました。
商鞅(しょうおう)こと公孫鞅(こうそんおう)を良く思っていない恵文王は
家臣が商鞅を讒訴(ざんそ)したことを取り上げ、彼を逮捕することにしたのでした。
逃げる商鞅を捕まえることはできるのか?
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はるか古代の中国戦国の時代。
兵法に長けた孫ピンは魏に訪れた際友人ホウ涓(ほうけん)の策略で
両足を失い飼い殺しの生活を余儀無くされました。
そんな時、斉から使節がやってきました。
孫ピンは使節一行に会い魏から脱出を試みるのでした。
82
はるか古代の中国戦国の時代。
ホウ涓(ほうけん)率いる魏軍が趙へ襲ってきました。
趙は孫ピンのいる斉へ救援を求め、斉は救援に向かうのでした。
83
はるか古代の中国戦国の時代。
ホウ涓(ほうけん)率いる魏軍が今度は韓へ襲ってきました。
韓は孫ピンのいる斉へ救援を求め、斉は救援に向かうのでした。
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ゲームで十八史略83の途中の話。
ホウ涓(ほうけん)率いる魏軍が今度は韓を攻めていると
孫ピンのいる斉が魏を攻めてきた。
ホウ涓は急いで戻るのでしたが・・・・。
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古代中国蘇秦(そしん)という男がいました。
燕(えん)・趙(ちょう)・韓・魏・斉(せい)・楚(そ)の六国の宰相を
目指すべく一年間こもり揣摩(しま)の術会得を試みるのでした。
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古代中国蘇秦(そしん)という男がいました。
揣摩(しま)の術会得した彼は、早速国をまわるのでした。
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古代中国蘇秦(そしん)のライバル張儀(ちょうぎ)という男が秦に仕えていました。
彼は楚を騙したことがありました。
のちに楚と和ぼくの際張儀は楚に引き渡されてしまいます。
彼は得意の弁説で乗り切ろうとするのでした。
88
古代中国のちに亜聖(あせい)と呼ばれる孟子の子供の頃の話。
母と二人きりになってしまった為、引っ越すことになりました。
いい引っ越し先は見つかるのでしょうか?
89
古代中国のちに亜聖(あせい)と呼ばれる孟子は
仕官するため諸国をまわるのでした。
90
荘子という哲人が楚に行くことになりました。
道中のエピソードとは?
91
楚に屈原(くつげん)という男が仕えていました。
ある時彼は斉へ使いに行くことになりました。
その間に楚の懐王は秦の張儀(ちょうぎ)を手中に入れたのですが
張儀は弁説と賄賂の達人。
屈原がいなければ上手く丸め込まれそうです。
果たして屈原は使いを早く終わらせることができるでしょうか?
92
屈原が仕える楚の懐王が秦に招いてきました。
危険を察知した屈原は懐王を説得にかかります
それを反対派の子蘭が阻むのでした。
93
斉に孟嘗君(もうしょうくん)という賢人がいました。
彼は秦に呼ばれ行ったのですが、秦の昭襄(しょうじょう)王に
命を狙われるはめになりました。
王の寵姫に狐白裘(こはくきゅう)をおくればなんとかなりそうでしたが
既に昭襄王に献上した後でした。
そこで孟嘗君の食客の一人が盗みに入ることにしたのでした。
94
斉に孟嘗君(もうしょうくん)という宰相がいました。
彼は有能だったため秦や楚の策略で失脚してしまいました。
そこで彼の食客のフウ驩(ふうかん)が秦(昭襄王)と斉(ビン王)に話をしに行くのでした。
95
燕という国が韓・魏・趙と秦とで連合し、
燕の楽毅(がくき)を総大将として斉を攻めるのでした。
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燕という国が韓・魏・趙と秦とで連合し、
燕の楽毅(がくき)を総大将として斉を攻め勝利しました。
さらに燕は斉を攻めるのでした。
97
前回(96)で燕に負けた斉のビン王は楚の将軍トウ歯(し)を宰相にし
再起を謀りましたが逆に殺されてしまいました。
そこで太子の法章(ほうしょう)は出奔してしまいます。
その後トウ歯は暗殺され太子探しが始まるのでした。
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燕の昭王が亡くなり恵王が立ちました。
斉の将軍田単(でんたん)は策略で恵王と楽毅(がくき)を引き離すべく
策略を仕掛けるのでした。
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斉の将軍田単(でんたん)は策略で燕の恵王と楽毅(がくき)を引き離しました。
今の燕の将軍は騎劫(ききょう)。
彼を上手いこと騙して斉の兵士の志気をあげるべく策略を仕掛けるのでした。
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斉の将軍田単(でんたん)は策略で燕の恵王と楽毅(がくき)を引き離し
斉の志気を上げる事にも成功し、牛の群れを使って燕を攻めるのでした。
101
強国秦の昭襄(しょうじょう)王から趙(ちょう)に手紙がきました。
趙の宝の和(か)氏の璧と城15を交換しろと言うのです。
趙の恵文(けいんぶん)王は臣下と相談した結果
藺相如を使者に出します。
102
強国秦の昭襄(しょうじょう)王から修好の会見を申し込まれ
恵文王は家臣の勧めで藺相如と共にしぶしぶ秦へ行きました。
酒宴の中昭襄王は恵文王に瑟(しつ(楽器))弾かせました。
そこで藺相如は、昭襄王に盆プを打たせようとするのでした。
103
趙の藺相如(りんしょうじょ)がめきめき出世し
廉パ将軍の上になりました。
面白くない廉パはあからさまに怒っていました。
それを知った藺相如はある行動に出るのでした。
104
趙を攻めるのを諦めた秦は今度は楚を攻めるのでした。
105
魏に范(はん)ショウと言う男がいました。
彼は上司にスパイの疑いをかけられ
さらにその事が宰相の魏斉(ぎせい)の知る所となり
怒った魏斉は范ショウを袋叩きにするのでした。
はたして范ショウは助かるのか?
106
秦の相国(しょうこく)に穣候(じょうこう)という男がいました。
彼は王の信頼が厚かった為、王室以上の豊かさを持っていました。
そんな穣候が王の許可をとり離れた国である斉を攻めるのでした。
107
秦王以上に周りが強い状況に先行きを心配した茫スイは、
王の説得を試みるのでした。
108
秦に茫スイの元上司が使者としてやってきました。
茫スイは、身分を隠して会いに行き対応によっては
恨みをはらそうと企むのでした。
そうとは知らぬ元上司はどうなるのか???
109
秦の宰相茫スイはかつて自分を半殺しにした魏の魏斉(ぎせい)を殺すべく
魏に通達した上で追っ手を差し向けるのでした。
110
秦の茫スイは趙の廉パ将軍を罷免させるべく
趙の重臣達に取り入らせるのでした。
111
秦の茫スイは趙の廉パ将軍を罷免させ
趙括を将軍にする事に成功しました。
そして趙を攻めるのでした。
112
秦の白起(はくき)が趙と韓を攻めてきました。
恐れをなした二国は説客蘇代(そだい)を送り
秦の宰相茫スイを説得するのでした。
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秦の宰相茫スイは宰相になるにあたり恩人を推挙し失敗し
鬱々と過ごしていました。
そんな時蔡沢(さいたく)という男が会いに来て説得するのでした。
114
秦の為に亡国寸前の趙は楚に救いを求める事にしました。
趙の平原君(へいげんくん)は20人の食客を選び出発しました。
食客の中で毛遂(もうすい)という男が一番頼り無いと思われていました。
しかし彼は残る19人と議論をするのでした。
115
趙の平原君(へいげんくん)は20人の食客を選び楚に行きました。
楚の孝烈王を説得しようとしますがいつまでも説得できません。
そこで食客の中の毛遂(もうすい)の出番なのでした。
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趙は秦の侵略の為魏に助けを求めていたのですが
使節の新垣衍(しんえんえん)は逆に秦に臣事しろと言ってきました。
そこで魯仲連(ろちゅうれん)の出番なのでした。
117
魏に無忌(ぶき)と言う公子がいました。
彼は侯(こう)エイと言う隠士を招いた所、屠殺場へ寄り道を頼まれました。
そしてそこにいた男に長話を始めるのでした。
供の者は不満そうです。供の者をキレさせずに話を終わらせる事はできるのか?
118
魏に無忌(ぶき)と言う公子がいました。
彼は切羽詰まってました。
そこで侯(こう)エイと言う隠士に助言を求めた所
王の割り符をとってこいというのです。
そこで王の側室の如姫(じょき)に頼んで取ってきてもらうのでした。
119
秦の太子安国君の妃華陽(かよう)夫人は子がありませんでした。
そこで夫人を慕っていると言う異人(いじん)を養子(後嗣)にと考えました。
さて上手く行くでしょうか?
120
趙は危機に陥ってました
。
しかし趙の平原君は贅沢三昧。
そこで役人の子李同が説得を試みるのでした。
121
楚の春申君(しゅんしんくん)が秦に使いへ行った時の話。
秦が韓、魏と共に楚を討とうとするのを知りました。
そこでなんとか秦の昭襄王の心を動かそうとするのでした。
122
楚の春申君(しゅんしんくん)は李園と言う男の妹を寵愛していました。
彼女が身ごもるとその妹は考烈王に自分を差し出しハートを掴めば
後々よくなると言いました。
もっともだと思った春申君は彼女を王に差し出すのでした。
123
周は西と東に別れました。
西周は秦を恐れ連絡を断ちました。
怒った秦は西周を襲うのでした。
124
周は西と東に別れ西周は滅びました。
数年後秦が東周を討伐にかかるのでした。
125
楚の考烈王が病みました。
すると朱英と言う男が李園が春申君を殺す前に殺せと説得しに来ました。
はたして成功するのか?
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