超略伝記市川団十郎のゲーム資料


このソフトは市川団十郎の伝記を超略しまくったミニゲーム集の資料です!

1
粗筋
初代団十朗は革新的な舞台で市民を魅了する。

資料
初代市川団十郎:14歳で舞台デビューし
舞台上だけではなく劇作家としても活躍。
やったとされる舞台の種類は30近く。
しかし若くして横死する。

時代背景
西暦1678年にデビュー。

2
粗筋
二代目団十郎はミョーに曽我狂言が多い件。

資料
二代目団十朗:初代の父の横死により
17歳で襲名かなりのプレッシャーだが
曽我狂言に定評売りっぽい。
曽我狂言:曽我兄弟の仇討ちを題材にした狂言。

時代背景
1758年71歳の人生。

3
粗筋
三代目は二代目が生きているうちに22歳で死んでしまった。
四代目は40代で襲名し続けて行くうちに新しい風潮になり
団十朗=親玉と言う事に。

資料
三代目団十朗:夭折したので出番なし。
四代目団十朗:男盛りで襲名。
荒事からリアルな実事へと変えて行き認められるみたいな?
ただ江戸にこだわり上方(京都)へ興行はしなかったとされる。
二代目に遠慮して結婚が遅め。

時代背景
1778年に四代目が没し
同年六代目誕生。

4
粗筋
父四代目から襲名した五代目市川団十朗は
役の幅を広げる事に切磋琢磨する。

五代目市川団十郎:敵役もこなせる団十朗にした画期的な人。
初期に芸のおおまかを直したらどうかと言われあれこれやったが
結局それを芸風ににする事に成功した。
どんな役でも同じような意気でやる事を信条としているのが残ってるらしい。

時代背景
六代目が夭折して六に記録が無い。

5
粗筋
六代目の夭折で七代目は10歳で襲名する。

七代目市川団十郎:10歳で襲名して
周りはすこぶる実力者だらけなので
あらゆる事にチャレンジし巻くって凡庸を万能にまで昇華した人。
ある時たすき掛けして傘張りバイトをしている侍の様に
感銘を受け四谷怪談に取り入れたとされる。
ただ天保の改革で追放されてしまった。

6
粗筋
父が追放やら襲名が幼児やら江戸時代も末期やらで
段々病んで行くような感じになる八代目。

八代目市川団十郎:初舞台は5歳襲名は10歳。
ただでさえ重いのに父が追放され更なる苦痛。
上方へ行ったとき突発的に自殺する。
天保の改革:国総出の倹約令みたいなの。
此れのせいで七代目は追放されたが
女性達の倹約の辛さの鬱屈はらしに八代目大人気。

7
粗筋
八代目が自殺して七代目も客死みたいになって
長い事団十郎は存在しなかった。
どうにか9代目を襲名させたが本人は成人の上
団十郎のブランドに合わなすぎ悶着ありつつも
江戸の終焉やら何やらで。

九代目市川団十郎:養子に出されていたので
血縁者である事自体知らなかったが
養子先で色々学んではいたらしい。
まさか襲名するとは思っていなかったので
団十郎としてのスキルが無く多量の負債で苦労する中
西南戦争を上演したら成功したり天皇が見に来たりして
晩年は金の羽振りが良くなった。
明治天皇:九代目団十朗の歌舞伎を見に行った記録が幾つかある。

8
粗筋
時代は戦争に飲み込まれる中十代目は戦災孤児へ
十一代目は戦後の復興へと昇華して行く。

十代目市川団十郎:実は養子。
襲名が遅すぎたが俳優や戦災孤児への働きで評価されている。
十一代目市川団十郎:襲名までに何十年もかかった人。
日本の復興に合わせるごとく活躍とかなんとか。
十二代目市川団十郎:父が早生したので自らの努力で芸を磨き
スケールの大きい骨太な芸風を売りにしていたが白血病で死去してしまう。
実は宇宙が好きで日本人宇宙飛行士等と親交があった。資料の都合で出番なし。


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