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十八史略南北朝時代から随設立まで編


このサイトの公開20160306制作ギョロ
387
宋の時代。
宋で内乱が起きました
。 義陽王昶(しょう)は魏へ逃げるのでした。
388
宋の時代。
宋で内乱が起きました。
そのどさくさに乗じて魏は宋を攻めるのでした。
389
宋の時代。
宋で頭角をあらわしたショウ道成(しょうどうせい)を
危険とみなした宰相袁粲(えんさん)は彼を討とうとするのでした。
390
斉の時代になりました。
斉の武帝は国力の伸長を頑張るのでした。
391
斉の時代。
斉の武帝の孫昭業(しょうぎょう)は遊び捲るのでした。
392
斉の時代。
斉の武帝の孫昭業(しょうぎょう)は
邪魔な父を呪い殺そうとするのでした。
393
斉の時代。
昭業(しょうぎょう)が帝になりました。
遊び呆ける帝をしり目に伯父の蕭鸞(しょうらん)は
力をつけて行くのでした。
394
斉の時代。
昭業(しょうぎょう)の伯父の蕭鸞(しょうらん)は
昭業を殺す為宮中に入り探すのでした。
395
斉の時代。
斉の実力者蕭鸞(しょうらん)は
邪魔な皇族達およそ14人を片付けようとするのでした。
396
斉の時代。
北魏の孝文帝は洛陽に遷都する事にしました。
百官達およそ100人を2年がかりで南下させるのでした。
397
斉の時代。
北魏の孝文帝は漢化政策を始めました。
すると太子の恂(じゅん)が、それをいやがり逃げました。
孝文帝はそれを捕まえて罰しようとするのでした。
398
斉の時代。
斉の明帝が病気になりました。
彼はたくさんの皇子達を殺してきたので
残った皇子達が何かするのではと心配になり
腹心に命じて残り10人を殺させるのでした。
399
斉の時代。
斉の王敬則(おうけいそく)が叛旗を翻した!
彼の元に続々と農民達が集まり、10万の大軍となった。
烏合の衆に対して、明帝軍は精鋭の兵士達で挑むのでした。
400
斉の時代。
暗君宝巻(ほうかん)が即位しました。
皇帝として全くダメなこの男を帝から引きずり下ろそうとする
人々がいました。宝巻は彼等を消していくのでした。
401
斉の時代。
邪魔者を消した暗君宝巻(ほうかん)は
好き勝手な事をするのでした。
402
斉の時代。
暗君宝巻(ほうかん)の弟宝融(ほうゆう)が挙兵するのでした。
403
話は少し戻って明帝の時代。
北魏戦で勝てぬと踏んだ斉軍は撤退するのでした。
404
蕭(しょう)えんという男が、
打倒東昏帝のため兵をあげるのでした。
405
梁(りょう)の武帝の話。
武帝の異母弟臨川(りんせん)王は
武人としては全くダメでしたが
商売人としてはやり手でした。
そんな中彼が謀反の疑いありとうわさされるのでしたが・・・。
406
梁(りょう)の武帝の話。
武帝の異母弟臨川(りんせん)王は
武帝が煙たくなり暗殺を試みるのでした。
407
梁(りょう)の武帝の話。
武帝は道教学者の陶弘景(とうこうけい)を
登用しようとしましたが引退したのでダメでした。
それでも国に重大な問題が起きると相談するのでした。
408
梁(りょう)の武帝の話。
武帝は仏教にはまり、寄付したり
寺を建てたりするのでした。
409
梁(りょう)の時代の北魏は乱れていました。
それを見かねた張始均(ちょうしきん)が
意見を出した所、侍官達が怒り、彼の家を襲撃し
張始均を殺そうとするのでした。
410
梁(りょう)の時代。
北魏の霊太后の専横に憤慨した
爾朱英(じしゅえい)は太后と考昭帝を河に沈め
王公百官約2千人を殺そうとするのでした。
411
梁(りょう)の時代。
爾朱英(じしゅえい)の横暴に我慢が出来なくなった
孝荘帝は彼を殺そうとするのでした。
412
梁(りょう)の時代。
北魏の実力者、高歓(こうかん)が兵を挙げ襲って来ました。 孝武帝は洛陽から長安へ出奔するのでした。 413 梁(りょう)の時代。 東魏の将軍侯景(こうけい)が国を見限り北魏と盟約を結んだ為
東魏の慕容紹宗(ぼようしょうそう)は攻撃を仕掛けるのでした。
414
梁(りょう)の時代。
東魏の元将軍侯景(こうけい)が
立てこもる梁(りょう)の武帝を襲うのでした。
415
梁(りょう)の時代。
侯景(こうけい)が皇帝漢帝となった。
それを梁の蕭繹(しょうえき)が襲うのでした。
416
北斉の話。
文宣帝は殺し屋桃枝(とうし)を使って
宰相高徳政(こうとくせい)にひどい事をするのでした。
417
北斉の話。
文宣帝は東魏の元氏の残党を片付ける事にしたのでした!
418
武成帝が位についた。
そして文宣帝の妃、李后をモノにしようとするのでした!
419
前帝高演の子百年はある事で武成帝の怒りを買い
呼び出されるのでした。
420
陳の刺史華皎(かこう)が謀反を起こしました。
宣帝(せんてい)は、呉明徹(ごめいてつ)に命じて
討伐させるのでした。
421
陳VS斉となった。しかし斉の弓兵は強力だ。
だがリーダーを倒せば逃げ出すと踏んだ陳軍は
ショウ摩訶(しょうまか)に任せるのでした。
422
陳が斉の寿陽(じゅよう)をおとしてしまった。
落胆する天子高緯(こうい)に佞臣達は・・・・。
423
陸令ケン(りくれいけん)と言う女がいました。
彼女は娘を皇后にする為、皇太后に今の皇后の悪口を吹き込むのでした。
424
皇帝高維(こうい)は親戚の南陽王と
ある遊びを楽しむのでした。
425
皇帝高維(こうい)は城下で
乞食ごっこをするのでした。
426
北周の皇帝補佐の宇文護(うぶんご)は
独裁的で反感を持つ人が後を立ちません。
そこで、反感を持つ者を調べ消すのでした
427
北周の皇帝補佐の宇文護(うぶんご)は
己の権力を維持する為に、明帝を毒殺しました。
次に即位した武帝は、ある策略を実行する。
428
北周の武帝は、政治改革の後
斉を攻めるが、微妙に具合が悪くなるのだった!
429
北周の武帝が斉に攻めてきた!
斉の高緯は寵姫を伴って戦いを挑む。
430
斉をおとした北周の武帝は今度は陳を攻める。
431
北周の最後の皇帝宣帝は、
気に入らない家臣達を消していく。
432
もう駄目だろう的な北周の家臣揚堅(ようけん)は
なんやかんやで実力者にのし上がったのだが。
434
陳が滅ぶ前の話。
中国三大美女の1人、張麗華は皇帝陳叔宝(ちんしゅくほう)の
心をゲットするべく色々やるのでした。



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隋時代編
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