十八史略南宋時代編
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748:
宋の宰相だった張邦昌(ちょうほうしょう)は
金によって、楚という国の皇帝に祭り上げられた。
しかし彼は、皇帝になる事より宋の行く末を心配して居た。
唯一の皇族の生き残りの康王と、哲宗の皇后孟氏であることから
彼等に宋の復活を託す。
749:
宋の高宗は迷って居た。
金に連れ去られた皇族その他を
自国へ取り戻す為、また屈辱を浴びるのか?
家臣達に相談する。
761:
金に捕まっていた、秦檜(しんかい)が
妻と従者と戻ってきた。
胡散臭せーと思う家臣達もいる中
何故戻ってきたか高宗に説明する訳だが。
762:
秦檜(しんかい)の件で
抗戦派と和解派の対立がまた起きた。
高宗は頭を悩ませる。
763:
高宗に信頼された秦檜(しんかい)。
更に彼は「自分は天下をベストな
状態にする秘策が有る。」
ことあるごとに言いふらす。
764:
秦檜(しんかい)の落胆案と
平行するかのごとく5年程前
和平交渉役に出した王倫(おうりん)が
戻ってきた。
「これは金の策に違い無い!」と
抗戦派は、糾察係の黄亀年(こうきねん)
に弾劾文を提出させる事にする。
765:
一方岳飛は、地道に兵を組織し
他の武将達が平気で人民から取り上げる一方
農民等から搾取しないよう軍旗を保つ。
766:
岳飛以外の軍がアレ過ぎて
土民達が反乱を起こした!
誰も鎮圧出来ない為、岳飛に命じる。
767:
土民達の鎮定を半年で平定した岳飛は
高宋に謁見し<精忠岳飛>の刺繍の軍旗を賜った。
同時に、「酒はちと控える事だな」と
言われてしまい一年前のやらかしを思い出し硬直する。
768:
襄陽(じょうよう)奪還の命を受け
行ってみる岳飛は相手の事を調べるのだったが。
769:
襄陽(じょうよう)奪還の命を受け。
行ってみると、相手の李成軍はアホな
陣系を組んでいて、思わず笑い一戦で撃破した。
そこで、さらなる追撃を上訴する事にするのだが。
770:
金に作らされた傀儡国大斉(760辺り)。
傀儡とは言え、皇帝劉予(りゅうよ)は
岳飛が襄陽を奪回した為、ビビって金に助っ人してもらう。
そこで岳飛はそれに対して戦闘を起こす。
771:
一旦金と和平をした南宋。
その間、岳飛は内乱を起こしている湖賊を平定をしていく。
772:
張俊(ちょうしゅん)が宰相になった。
その為抗戦派が対金積極策を言うようになり
岳飛も金の牽制として色々派遣されるのだが。
773:
勝手に任務放棄したのにあんま言われず
任務に就いた岳飛。
まず彼は部下に斉討伐をさせる。
774:
昇進していく岳飛。
そんな中、VS斉で防衛に問題有りとされた
劉光成(りゅうこうせい)を朝廷は調べさせる。
775:
773からモリモリ力を付けて行く岳飛軍。
ついにはそう三将軍のトップと成る。
いけると思った飛は、上奏文を奉じ
宋奪回を狙うのだが。
776:
岳飛軍から一旦入れられた劉光世の軍を入れたのを
自軍に引き入れた宰相兼総司令官トップ張浚。
それに後ろめたさがあったのか、岳飛にそれの質問をする。
777:
岳飛がまた勝手に家に帰ったのに驚く朝廷。
ちょっとやそっと出戻りそうに無いのだが。
778:
金が斉と揉める自体になった!
そこで朝廷は辞めさせた秦檜を復帰させた。
彼は直ちに和平交渉を開始する。
779:
平交渉成立したにもかかわらず
金の宗弼(そうひつ)が斉にちょっかい出し
侵略して来たのだった!
780:
宗弼(そうひつ)がまた南下して来た!
岳飛はがら空きの抃京(べんけい)を
狙うチャンスだと進言を試みる。
781:
三将軍は危険と見た秦檜(しんかい)は彼等の私兵を
解体する為、まず張浚(ちょうしゅん)を狙う。
782:
文官になった三将軍。
まず張浚(ちょうしゅん)&岳飛(がくひ)が
韓世忠(かんちゅうせい)軍解体の為
彼が任地し、金の宋弼が侵入撤退した
楚州の赴いた。
そこの状況を見た張浚は・・・?
783:
岳飛の勢力を弱めようとする秦檜。
どこかにほころびが有るはずだと
内密に調べる。
784:
岳飛の勢力で、王貴、張憲が仲が悪いと判った。
秦檜は行動起こしてもスルーしてもらうよう
手を打ち(783参照)王貴に告発させる。
785:
秦檜は784を利用して、
岳飛も捕まえ罪を捏造した。
岳飛は身に覚えが無いので否定するが。
786:
秦檜は785を利用して、
岳飛も捕まえ死刑にする事になったが
なかなか執行出来ない。
そんな夫を妻の王氏は観察していた訳で。
787:
話は戻って朱子の父朱松の話。
朱松には羅従彦(らじゅうげん)と言う
知り合いが居た。
彼は二程子(707〜709)に学んだ揚時(ようじ)に
弟子入りし、朱松はかれが色々学んで行く様を
見て行く訳だが。
788:
朱子14才の時父朱松が死んだ。
朱松は胡憲(こけん)、劉勉之(りゅうべんし)
劉子キに学べて遺言していたので学ぶのだが。
789:
朱子が李トウを師とした。
歴任を転々としながら、その合間に
本をバキバキに読み捲る。
790:
朱子の対となる男
陸象山(りくしょうさん)。
彼は幼少の頃から聡明で、
進士ニ及第し地方間を歴任するが、
行く先々で門人が集って仕方ないんだが。
791:
朱子の対となる男
陸象山(りくしょうさん)は朱子の
考えに同調出来ず口撃する訳だが。
792:
陸象山と言う朱子の考えと対となる男が。
朱子におまいは間違えてるとこりずに口撃する。
793:
陸792で、全く和解し無かった朱子と陸象山。
しかし朱子は年上だけあって、翌日には
気を取り直して論席に挑む。
794:
793の「ガ湖の会」から5年後(孝帝の時代)。
50になった朱子は再び会合のあった
地に在留していた。
すると象山派の陸復斉がやってくる。
795:
陸復斉の兄陸復斉死んで約二年程経った。
すると弟の象山が兄の墓誌銘を頼みに来た。
喜んで筆を振る朱子。
そして象山に自分の書院で講議を請い、
象山も快く受け入れる。
796:
陸象山と久し振りの交流をする朱子等。
言い雰囲気になったので、船に乗って
雑談をするのだが何時の間にか討論になる。
797:
54歳になった朱子は、一旦官を辞め
学問に励みつつ、異端の学の排除をする。
798:
また官に就いた朱子であったが、
学問を捨てた訳では無い訳で。
799:
還暦とっくに過ぎている朱子。
皇帝が寧宗(ねいそう)になってから、
愛弟子の蔡元定(さいげんてい)に死なれてしまった!
大ショックに打ち拉がれる朱子であったが
それでも学門は止めようとはしないのだった!
800:
70歳をとっくに過ぎ、己に死が迫る事に気付く朱子。
しかしその直前まで活動をする訳で。
801:
朱子が死ぬ大分昔。
慶遠(けいえん)節度史の李道は
皇甫坦(こうほたん)に娘達相を
観てもらっていた所、
ある娘の出番になるや、
平伏したまま黙り込んでしまったんですが。
802:
「天下の母」事李氏は
大層気性が激しく、嫉妬深さも
半端じゃ無かった。
その為、夫の光宗や先帝の孝宗は
たまりかねてしばしば彼女を諌めるんだが。
893:
舅である孝宗を憎む李氏。
しかし夫の光宗が病に臥せって
皇太子の話が出来ない。
そこで孝宗に願い出たのだが断られたからさあ大変!
804:
舅の孝宗に嘉王擁立を拒まれた李氏。
そこで夫の光宗が病に臥せってるのに
その事を彼に訴える訳で。
805:
ちょっと元気が出た光宗はトイレへ行った。
その後手を洗わせたのだが、担当の宮女の手が
白くて綺麗だった為、ムラムラ来て
一晩まぐわってしまった。
数日後、皇后がから恐ろしい物が送られて来る。
806:
皇后李氏のあまりのアレさに
彼女の元へ行かなくなった光宗。
その代わり、黄氏ばかり寵愛する為
李氏はその様子を監視させる。
807:
光宗ましになって政治を始めた。
しかし病んでいる為廃帝にする
動きが出てもおかしく無い。
父である孝帝は、それを防ぐべく
何やかやする。
808:
李氏のせいで、親である孝宗に
嫌気がさした光宗。
しかし周りが何とか孝宗の元へ
やろうとする。
809:
孝宗が病にかかった。
官臣達はしきりに光宗に、見舞いを勧める。
810:
孝宗が病にかかっが、光宗は見舞いに行かない。
しかしその子で、李氏の子でも有る嘉王が
代わりに見舞いに来る。
811:
光宗がくるのを待つ孝宗。
しかし一向にくる気配なく、
息子の嘉王が申し訳なさ気で来るばかりなわけで。
812:
孝宗が死んで一ヶ月。
ある日光宗は朝廷へ出ようとして、
倒れて意識不明になってしまった!
これはもうイカンと嘉王皇帝擁立に向け
動き出す。
813:
時代は寧宗のなった。
彼の元には、宰相に趙汝愚(ちょうじょぐ)
朱子事朱キで国を動かしてた。
が朱子や道学の批判が酷くなってくる。
814:
朱キ(朱子)は還暦も過ぎてるし
このままでは問題になるだろうし
と思っていたら長男が死亡し
休職し喪に服す事に。
しかしこれに困った宰相趙汝愚は
寧宗に復帰願いを出す事に。
815:
朝廷に戻った朱キ。
彼は寧宗擁立立て役者韓タク冑が
危険である事を見抜いていた。
しかしあからさまに言うと
話がこじれるので、学問の名目で
暗に注意を促す。
816:
寧宗に宰相として抜てきされた趙汝愚だったのだが。
817:
朱キの行動の真意を見抜けず、疲れるばかりの寧宗。
韓タク冑はそれを利用しようとする。
818:
寧宗擁立立て役者の一人韓タク冑。
己が要職に就けると辞任していたが、
もう一人の立て役者趙汝愚(ちょうじょぐ)が
朱キを抜てきした為、要職につける事が出来ない状況。
恨んだ彼は趙汝愚を失脚させる為色々やる。
819:
朱キをクビにする事にした寧宗。
宰相の趙汝愚はもちろんなんやら反対が。
820:
朱キが居なくなった後は、宰相の
趙汝愚の失脚と韓タク冑は策略する。
821:
朱キが居なくなった後、韓タク冑等は
さらに策略で朱キ等をたたき、
彼等の学問を迫害へ導いた。
そんな中朱キ71歳で病死してしまい、
門弟達は慰問客の多さでてんやわんやする。
822:
ここからいよいよ
元を作るモンゴル族達の話。
モンゴル族が弱小だったころ。
宗の外でタタル族VSモンゴル族が起きる。
823:
ジンギス汗になるテムジン絡みの話。
若いころの父エスガイバトルは
鷹狩りの時別部落の若者が、どこかの娘を
略奪したのに鉢合わせした。
そして娘に一目惚れした訳で。
824:
テムジン9歳の時の話。
彼の父はテムジンに嫁をと
母の実家オルクヌウト族の元へ行った。
そして他の部族の違いや何やらに目を見張る。
825:
息子テムジンを置いて帰宅中の
エスガイバアトル。
草原でタタル部落の者達の宴に出くわし
慣習に習い宴に加わって帰ったのだが
じつは宴で毒を盛られ、毒が回って来たから
さあ大変!
826:
エスガイバアトルの死で、
彼の部族の中で従属していた
タイチュウ氏族が民と家畜をことごとく
持っていこうとするのだが。
827:
エスガイバアトルの死で、
彼の部族の中で従属していた
タイチュウ氏族が離反し、
エスガイパアトルの妻ホエルンは激怒する。
828:
タイチュウ氏族の離反で家畜も食料も
無くしたホエルン一行。
しかし生きる為、7人の子供を育てる為、
できる限りの事をする。
829:
ある日狩りに行ったテムジン。
鳥を射たのだが見つからない。
どこへ行ったのか?
830:
また別の日、テムジンは弟カッサルと
共に釣りをしていると、またもや
異母弟ベクテッルが魚を奪った。
キレたテムジンは、弟と一緒に
奴を成敗する事にする。
831:
テムジンの復讐を恐れたタイチュウトは
彼が森に行ったのを利用して閉じ込め
飢えで出て来たのを易々捕まえた。
それして宴会を始めるタイチュウトの者達。
宴の後こそられると直感したテムジンは
繋がれた手かせを武器に門番を倒し、
脱出を試みる。
832:
タイチュウト氏族から逃げ出したテムジン。
しかし彼等に属するスルドス部落のソルカンシラが
衰弱したテムジンを発見。しかし彼はタイチュウトに
突き出すどころか匿い脱出の手助けをする。
833:
ソルカンシラから、脱出の手助けを
してもらったテムジン。
さらには食料、弓、食料まで頂いてしまった。
テムジンは彼に感謝しながら家族探しへ向かう。
834:
家族と再開したテムジン。
ある日何者かが8頭の馬を奪って逃げた!
テムジンは一人で賊を追うのだが。
835:
成人しボルテと結婚したテムジン。
そのおかげでボルテの実家の支持を
受けるようになった。
テムジンは他の部落との地位を高め、
武力を貯える事に専念する。
836:
武力を貯える事に専念するテムジン。
ある時、妻のボルテを奪われるトラブルが起きた。
そこで彼はそれを逆に名をあげる事に成功した。
そして汗の座をめざしさらに武力をつけていく。
837:
汗になったテムジン。
しかしその座に就いても、
武力の強化は忘れないのだった。
838:
テムジンから、民を引き抜き捲られるジャムカは、
戦を仕掛け勝利するのだが、その後がちょっと。
839:
一方タタル族VS金と言う状況になった。
復讐の大チャンスと金と対戦中のタタル族に
舅のトリオリル汗とテムジン等はタタル族を攻める。
840:
838でテムジンに来属した
ジェルキン一族の2長兄弟他等は
来属の時から態度が悪かった。
839で戦闘不参加し
反逆の意思表示をして来たので
彼等を始末する事にする。
841:
840でほぼモンゴル2大勢力になったテムジン
VSタイチュウト+ジャムカとなる。
842:
モンゴルのほとんどを制圧したテムジン。
しかし全支配では無い。
残ったタタル族をせん滅を謀る。
843:
842でアルタン、クチャル、サリタイオッチギンの
三人は勝手に軍法やぶって、タタルの戦利品を奪った!
そこでテムジンは彼等に兵を使って没収する事に。
844:
タタル族をせん滅を実現したテムジン。
しかしこれだけではモンゴル全支配では無い。
そこで、ナイマン、ケレイトを潰す事にする。
845:
テムジンの野心に薄々気付いているトリオル汗。
だが軍約を結び、ナイマン部落の一族を討った。
・・・んだけど、もやもやする訳で。
846:
実は845ではジャムカが絡んでいた。
そんな中テムジンがナウマンの残党を
片付ける中、ナウマンの一部がテムジン無視して
トリオルを攻めて来た!
847:
847でテムジンに救われたトリオルは
礼として父子の盟約を結び
トリオルの中のサングンと言う男を
弟とした。
が、サングンが宴でテムジン暗殺を
しようとした為、トリオルを攻める事にする。
848:
848でトリオルに勝利したものの
損害が酷かった。
また、現状ではモンゴル支配は
難しいので、内密に武力をあげる
テムジンであった。
849:
トリオル汗が死んだ。
彼がテムジンに対する後ろ楯だった
ジャムカは、ナイマンの長タヤカンの
元え逃れ、さらに長をそそのかす。
850:
対ナイマンの対策が済んでいたテムジンの元に
アラクシナギトクリからナイマンの長が
こちらを討とうとしているとチクられたので
それを機会に討伐する事にする
851:
テムジンがモンゴル支配し、ジンギス汗となる。
さらなる支配を欲し、金を攻略する。
852:
3年後。
ジンギス汗は中都(北京)攻略を再開する。
853:
和解した金が、モンゴルを恐れ遷都した。
これに腹をたてたチンギス汗はまた金を攻める。
854:
金を半分程手に入れ弱小にしたジンギス汗。
次は中央アジアだと言う事で、西リョウを攻める。
855:
ホラズム辺境で守将をしていたイナルチクは
異様に荷物の多い怪し気な隊商を
何度も見つける。
856:
中央アジア1のサマルカンドを
今度は攻めるジンギス汗であった。
857:
サマルカンドの諸城市クチャンの
守将テムジメリは、精鋭だがたった
1000人の兵で城を守ろうとする。
858:
857の後ウコンゲチを占領したモンゴル軍。
さらにはロシア系のマリも陥落させ、
ほぼ中央アジアを征服するも手も休めず
ホラズムの残党と皇帝ジャラン・モハメッットを追撃する。
859:
ジンギス汗と別行動のチュペ&スブダイ軍。
彼等の前に、倒さねばならねばならぬ敵がいるのだった!
860:
857の後ウコンゲチを占領したモンゴル軍。
さらにはロシア系のマリも陥落させ、
ほぼ中央アジアを征服するも手も休めず
ホラズムの残党と皇帝ジャラン・モハメットを追撃する。
861:
蒙古軍は西夏の霊州を占領した。
ハイになった将兵が略奪しようとしたが
853で得てその才覚で重用されていた
耶律楚材(やりつそざい)がそれを制すが。
862:
ジンギス汗は、金と西夏の国境を落とせば
攻略がしやすくなるとそのへんを落としていく。
863:
己の死期を悟ったジンギス汗。
しかし西夏討伐が心残りの彼は
自分が死んでも隠して、西夏を来降させ
一族を始末し滅ぼせと遺言する。
864:
さて話は宋に戻ります。
寧宗の時代前半は韓タク中が権利を握っていました。
彼を謀殺した史弥遠(しびえん)は、
己も実権を握る為、皇帝とつながりを持ちたいと思っていました。
そんな時皇太子が死に、また彼が才覚を評価し
家塾の講師にさせていた余天錫(こうてんしゃく)が、
里帰りする事になり史弥遠は次の皇太子候補
沂王(ぎおう)とつながりを持つ為、彼に、皇帝の血を持つ
良い人材を探す様口説く。
865:
宋の余天錫(こうてんしゃく)が探し出した二兄弟。
そのうち兄の与キョの天子たる顔に重大性を感じた
史弥遠は自分の手許に置くのは危険と、育ての親
全保長(ぜんほちょう)に都に連れ出させ
馴染ませる算段をする。
866:
皇太子元キン王のコウは揚皇后に取り入って
のし上がった史弥遠憎み捲っていたので
彼への毒を吐き散らす。
867:
皇室教育係真徳秀(しんとくしゅう)は、
史弥遠の心を見抜いて居た。
だのに皇太子元キン王のコウは日に日に
史弥遠への悪態をするんので、やばいやばいと
どうにか止めさせようとするが。
868:
一方貴誠を早く帝位に就けるべく画策する史弥遠。
その一つとして授教の鄭清之(ていせんし)を口説き落とし
貴誠の教育に力を入れる。
869:
寧宗が危篤になり、史弥遠は次期皇帝は
貴誠改めキンだと発表した。
そして、寧宗の崩御や何やでてんやわんやの中
史弥遠は谷石(こくせき)を使者にして
皇后に次期皇帝をキンにする様脅す。
870:
寧宗が崩御し、次期皇帝史弥遠の推すはキンとなった。
あまりの出来事に、式の最中で怒りでキンを睨み続ける
コウに拝礼の声がかかるがしようとしない。
どうしたものか?
871:
帝に成れなかったコウを湖州の
潘壬(はんじん)等が持ち上げて
戦闘を仕掛けて来た訳だが。
872:
モンゴルで重用されるようになった
耶律楚材の母揚氏による幼少から今に至る話。
873:
楚材がモンゴルのジンギス汗に
重用されるようになった理由とは?
874:
中央アジア攻略中の時。
聖獣麒麟のようで麒麟で無い何かが捕まった。
するとそれは「汝の主、よろしく帰るべし」
と人語を話した戸言う。
それを聞いたジンギス汗は?
875:
ジンギス汗が死にオゴダイ汗が跡をついだ。
金を攻略したいが、ジンギス汗のと時から問題があった。
楚材の兄が2人残っているのである。
そこで攻略中に、二人を見つけたら保護する事にする。
876:
まだ金を滅ぼして無い時の話。
金を確実に滅ぼす為、金に悩まされてる宋に
接触をするモンゴル軍。
宋としては金の滅亡は美味しいのだが
趙范(ちょうはん)が反対し捲るのでなかなか踏み出せない件。
877:
875で金の皇帝が居る抃京(べんけい)が
包囲され助けが来る訳が無く人々はぼろばろになる始末。
哀宗はここは都を捨て逃亡するのだが。
878:
金を滅ぼしたのはモンゴル軍であり宋は
おまけでしか無かったので活躍が無かった。
そのせいか、元金の人民は宋に好意的だった。
これは、チャンスであるとほとんどのモンゴル軍が
去った洛陽を無血入場に成功した。
が、いくら待てども兵糧が送られないのだが。
879:
大の酒好きのオゴタイ汗。
あまりに酷いので禁酒をさせようとしても
全く聞こうとしない。
そのせいである日危篤状態になってしまう。
880:
オゴタイの急死で、なぜか皇太子では無く
第六皇后のナイマージェンが国政を見る事になるのだった!
881:
耶律楚材(やりつそざい)が病んで死ぬ切っ掛けの話。
かつて楚材はモンゴルの国政の右腕だったが
オゴダイの死後、皇后の一人ナイマージェンに掌握され
西域人アブドル・ラマハンを身辺に置き
果ては国政を任せる始末。
見兼ねた楚材が諌めるのだが。
882:
楚材の死後、彼が地位を利用して
横領していると訴える者があったので
楚材の家中を捜しまわるのだが。
883:
ナイマージェンは息子を汗にさせたが3年で死んでしまった!
彼の皇后ハイミンは前汗オゴダイが皇太子としたチュチュンの
息子シレメンを次期汗とし国政を行うが、納得しない連中が。
884:
バリバリ他所の国を落としていったモンケ汗は
とうとうその鉾先を宋に向け、息子フビライに
落としに行かせる。
宋はカ似道に防衛させるんだが、歯が立たないので
この男がちょっと。
885:
モンケ汗が急死した!
彼の皇后は夫の弟アリブカに不穏な
動きを察知し、宋に遠征のフビライに
急きょ帰還を促す!
886:
モンケ汗(憲宗)が陣没した。
彼が溺愛していた末弟アブリカより
先に汗になるべく急ぐフビライだった。
887:
フビライが勝手に汗になった事に
怒ったアリブカが反旗を翻す為
自分もクリルタイ召集して
汗になろうとする。
888:
フビライが和ぼく撤退したので
和ぼくを知らぬままの軍もあった。
そこで、カ似道(かじどう)はどうしたかと言うと?
889:
フビライは対アリクブカ問題で
宋まで手が回らないので、カク経を
使者に行かせた。
待っていたのは偽功績をばらされまいとした
カ似道で、一行は捕まってしまった!
カク経達は罪人以下の扱いを受け
根を上げる部下達もいる訳で。
890:
宋の理宗に元(モンゴル)から
使者がくると言う情報を耳にした。
それが本当なら何かしら手を打たなければ
と重臣達を集め相談するのだが
これを恐れたカ似道がまた何かする。
891:
カ似道の昔話。
姉が理宗のちょう愛を受け出世する
カ似道だったが、放蕩の度が過ぎるので
さすがの理宗もどうかと思って、
職を止めさせようか検討していたが。
カ似道の方が上手だった。
892:
一方元(モンゴル)では、、、。
アリフブカや南宗問題を抱えていたが
それ以上に国つくりの重要性を痛感したフビライ。
その為国造りをメインにするようになる。
893:
襄陽城近辺で市場を出す許可を得た元軍。
市場を出すどさくさになんかやらかす訳で。
894:
南宗の襄陽を取りたい元軍だったが
中々とれない。
どうにかアラが無いか探させる。
895:
理宗の病没後、カ似道は度(たく)宗を
即位させ邸宅を賜ると、ろくすっぽ朝廷に
来なくなり、宮史達は毎日朝廷とカ似道邸を
行ったり来たりする事になる。
896:
一方襄陽では蒙古(元)軍に包囲され
朝廷へ助けを求めたので一応送ったが
襄陽へ向かう事は無かった。
いくら彼等が上訴しても、カ似道が
握りつぶしていたからである。
が、情報が少し帝にもれてしまった!
度宗の話で情報源は女宮と分かったので
情報源の女宮を血眼に探す。
897:
元軍は次々に宋の地域を落としていく中
襄陽の呂文火カンは必死で抵抗する。
898:
余りに襄陽の抵抗の凄まじさに切れた
フビライは兵を増やし捲ってゴリ押しで
攻撃するのだがそれでも手強い件。
899:
呂文カンを仲間にした元軍は、
彼を水軍として長江上流を進軍させると
投降者が出るわ出るわ・・・。
900:
さて南宋の方は、武将達
が
元にどんどん降るので、
さすがのカ似道も知らぬ振りが出来なくなり
嫌々出陣ずるも、武将達のやる気は全く無く
必死で戦う様呼び掛けるやらする。
901:
元にあれよあれよと都が落とされ
ついに建康も陥落した。
廷臣(カ似道含む)が逃げ出す中
臨安の留守を預かる陳宜中(ちんぎちゅう)は
残る家臣達で遷都を主張するものたちを誅して
都下に厳戒礼を敷きつつ、カ似道を弾劾する。
902:
陳宜中(ちんぎちゅう)が
カ似道を弾劾し、主な不幸不忠の罪として
流謫させようとしている中、当人は逃げ捲る。
903:
官史試験で主席のインテリ文系
克つイケ面の文天ショウは
絶えず歌妓を侍らす色男だった。
が、国が志士をつのる詔を受け、ギャン泣きして
一切の色事を止め、家財を投げ出し民兵集めに専念する。
904:
詔を受け集まったのは文官系文天ショウと
武官系張世傑(ちょうせいけつ)だけだった
しかし二人は国を守る為タッグを組み
朝廷に申し出るが陳宜中(ちんぎちゅう)に
しりぞけられさらに彼は・・・。
905:
講和直前で陳宜中が夜逃げしたので、
代わりを探すがほとんどの出来る家臣達が逃げ出し、
徹底好戦派の文天祥(ぶんてんしょう)のみ。
朝廷はしきりに講和に行くよう催促する。
906:
講和の為にしぶしぶ元に向かった文天祥。
いざ講和の段階になると・・・?
907:
元降った南宗皇帝一行の中に
文天祥(文天祥)も含まれていた。
彼の部下はなんとか救出しようとする。
908:
一旦は雲隠れした陳宜中(ちんぎちゅう)。
だが恭帝は捕まったが兄弟達は無事と知り
行方を探す。
909:
文天祥:もともと秀才文官だったが、
元侵略抗戦の募集に誰もで無いので
自らでて募兵をして、駐屯する元軍を
襲いながら南宗を守ろうとする。
910:
文官出身なのに駐屯していた元軍を
撤退させた文天祥。
これを知り志士達が集まり、三国志の
姜維(きょうい)顔負けの出撃をしていた。
さすがに元はウザイと感じ、
多勢の援軍を呼び出し方を付けようとする。
911:
元軍に壊滅させられた文天祥軍。
志士達は彼だけで生かそうと
文天祥をかばう。
912:
文天祥の元にはもはや戦闘武将は居なかった。
元はお構い無しに彼の居所を探し、
見つかるのも時間の問題だった。
そこで、趙時賞と言う男が身替わりをかって出る。
913:
元に太刀打ち出来ないので、海岸ぞいの各地を
転々とする陳宜中(ちんぎちゅう)等、皇帝端宗一行であったが。
914:
端宗が崩御し、群臣達がこの国の終わりを
心に過らせる中、陸秀夫(りくしゅうふ)は
南宗を見捨てない様説き捲る。
915:
元の名将張弘範(ちょうこうはん)は
ようよう兵の建て直しを謀ってる。
文天祥軍を攻めるのでした。
916:
幼い幼帝を引き連れた張世傑(ちょうせいけつ)の
守りは堅かった。手を焼いた元軍の張弘範(ちょうこうはん)は
世傑の甥を利用して投降を勧める。
917:
916で張世傑(ちょうせいけつ)の
投降に失敗した張弘範(ちょうちょこうはん)。
それではと915で捕らえた文天祥(ぶんてんしょう)
から投降を勧める様言うのだが。
918:
元の名将張弘範(ちょうこうはん)は
張世傑等へわざと油断させ最後の決戦をする。
919:
918の中の話。
このままでは元軍に滅ぼされると直感した
張世傑(ちょうせいけつ)は海上で繋げていた
各船を断ち切り、脱出可能にした。
しかし、肝心の帝の船が逃げにくくなっている件。
幼帝を連れた陸秀夫は・・・・・?
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南宋時代元編
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