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十八史略唐時代編


このサイトの公開20160306制作ギョロ
459
唐が立ったものの、まだ纂奪を狙うもの達がいた。
そこで、次男世民(せいみん)に薛挙軍退治をさせるのだが。
460
459で敗北した世民(せいみん)は
薛挙の跡を継いだ薛仁杲(せつじんこう)を攻める。
461
劉武周(りゅうぶしゅう)と東突厥(とうとっけつ)が南下してきた。
あまりの猛攻にびびる高祖(こうそ)は撤退する事にする。
撤退が悪影響を与えると読んだ次男世民(せいみん)は
父である高祖を説得にかかる。
462
高祖(こうそ)に、劉武周(りゅうぶしゅう)と
東突厥(とうとっけつ)退治を許された
世民(せいみん)は出撃する。
463
瓦崗軍が元リーダーのタク譲によって勝利した。
彼によって総帥になった李密は配下の編成が
官僚から農民に切り替わる事を恐れ
恩人であるタク譲を殺害しようとする。
464
李密(りみつ)はタク譲殺害後も瓦崗軍トップに君臨していた。
彼を恐れた王世充(おうせいじゅう)が牙を向く。
465
452で一定の支持を得ていたコウ建徳。
だがいつの間にか目先の事しか考えなくなっていた。
そんな時世民が攻めてくる。
466
打倒隋を目指し戦ってきた杜伏威(とふくい)は
唐がたった後も軍をあり続けた。
そこで高祖は杜伏威に休戦を申し入れ、彼を呼ぼうとする。
467
唐建国に多大なる功績のある世民は
兄である皇太子と末弟に危険視されていた。
ある日高祖と息子達とで狩りをする事になった。
皇太子達は、良くこける馬を良馬として世民に与え
世民はその馬で狩りに参加する。
468
高祖の次男、世民は
兄である皇太子と末弟に消されようとしていたのだが。
469
兄弟たちを片付けた世民は父高祖の力もしのいだので
めでたく禅譲を受け皇帝太宗となった。
賢臣にも恵まれ名君として踏み出すのだが
その中でも特に信任している魏徴(ぎちょう)が
あるときもの申す。
470
唐の時代、府兵制度と言うものがあり、
それを受けるとと様々な特典があったが、
受けられるのはあるのは男だけだった。
471
唐で太宗が即位後、突厥(とっけつ)の頡利(けつり)可汗達が侵入してきたので追っ払った。
それを期に太宗は突厥攻略を練り、頡利が失政で弱体化したのを見計らい戦を仕掛ける。
472
唐の太宗が治世する時代に、玄奘(げんじょう)という大変才覚のある若い僧侶がいた。
彼は漢滅亡後、様々な争いを気の遠くなるような時代から続いて
やっと国が統一されたのに、昔も今も仏教で人々を救う事が出来ない事に苦悩する。
473
唐の時代、天竺(てんじく(現在のインド))の仏教は衰えていた。
ナーランダー僧院の大長老の戒賢法師(かいけんほうし(シーラバドラ))は
夢のお告げで玄奘(げんじょう)と言う僧侶が教えを乞いにやって来る事を知る。
そこで法師は彼を迎え入れる為色々対策をする。
474
天竺(てんじく(現在のインド))行きを決意した玄奘(げんじょう)は
仲間をつのり、皇帝太宗(たいそう)に出発の許可をもらおうとする。
が、当の皇帝は彼等を反対する。
475
密かに天竺(てんじく(現在のインド))へ出発した玄奘(げんじょう)は
唐の西の最果て瓜(か)州で、数々の砂漠横断をしたと言う老人に会う。
が老人は、砂漠横断をしようとする玄奘に無謀な横断を止めるように言う。
476
天竺(てんじく(現在のインド))を目指し玄奘(げんじょう)は
砂漠横断中に水を無くしてしまった。
彼は連れの赤馬を連れて泉を探す。
477
天竺(てんじく(現在のインド))を目指し玄奘(げんじょう)は
様々な所を訪れる。
478
天竺に着いた玄奘(げんじょう)は
目的地ナーランダ寺を目指し様々な寺を訪れる。
479
玄奘(げんじょう)はナーランダ寺で5年間学ぶのだが。
480
玄奘(げんじょう)はインドの寺を巡る。
481
ナーランダ寺の擁護者戒日(かいにち)王が
一大法論を開いた。
玄奘(げんじょう)は大会に参加する。
482
玄奘(げんじょう)が国禁をやぶり天竺(てんじく)へ向かった事を
いまいましく思っていた太宗(たいそう)だったが。
483
玄奘(げんじょう)が天竺(てんじく)から帰って来た。
皇帝太宗(たいそう)は彼の才能を惜しみ
還俗(げんぞく)させようと説得する。
484
訳経にハッスルする玄奘(げんじょう)だったが
冷病(呼吸器の病)が再発し危篤状態になる。
485
太宗から高宗ヘと変わった。
高宗の王皇后には子が無く、
ライバルの簫淑妃(しょうしゅくひ)には子がある上に
寵愛が彼女に傾いている。
そこで、高宗は気に入っていたが太宗の元才人(さいじん)で
現在寺へ送られていた武氏を利用する事を思い付く。
その為彼女の髪を伸ばそうとする。
486
王皇后の策略により高宗の寵愛を受ける様になった武氏。
しかし彼女は慢心する事無く過ごすのだが。
487
高宗は、王皇后(王氏)簫淑妃(しょうしゅくひ)、武氏
のところへ行くのだが。
488
武昭儀(ぶしょうぎ)は、王皇后(王氏)が
自分を陥れる前に手を打とうとする。
489
高宗は王皇后を廃し、武昭儀(ぶしょうぎ)をたてたかった。
毎日重臣4人の内3人(1人は仮病)が参内するので、説得を試みるのだが。
490
武后は王氏、簫氏を西太后もびっくりな残酷な殺し方をした。
が、二人が夢に出てうなされる事になる。
491
高宗が病気で政務が出来なくなった。
才覚のある武后が彼の代わりを勤めるのだが。
492
高宗がボロをだして、武后を廃そうとしている事が分かった。
武后は高宗サイドの家臣達を始末させようとする。
493
実権を手に入れた武后だったが、皇太子弘が煙たくて仕方が無い
いやむしろ嫌がらせとしか思えない。
そこで、今の皇太子弘を始末させるのだが。
494
実権を手に入れた武后二対し李氏関連の者達が模範を起こす。
495
704年、クーデターが起き武后を退位させ中宗が復位した。 が、中宗の皇后葦氏が第二の武后となろうとしたため、
睿宗(えいそう)の三男李隆基(りりゅうき)は反発し決起する。
496
睿宗(えいそう)の妹大平公主が、太子の李隆基(りゅうき)を煙たがる。
そこでなんやかんや仕掛けてくる。
その件について話をしようとするのだが。
467
睿宗(えいそう)は大上皇となり、 太子の李隆基(りゅうき)が皇帝の座に
ついた。
それが不快な大平公主は何やら画策しているのだが。
498
玄宗の宰相の一人姚ソウは
ある時朝廷へ出る事が出来なくなった為
廬カイシンに代行を頼むのだが。
499
李林甫(りりんぽ)という男がいた。
彼は玄宗の寵愛を受けている武恵妃に取り入ろうとする。
500
武恵妃と李林甫は結託して
武恵妃の子寿王を太子にする為
玄宗をたぶらかすのだが。

*ここから表示がおかしくなります。
(511)武恵妃と李林甫は計画(500)を邪魔した
張九齢を追っ払おうとする。
(502)張九齢の後釜になった李林甫は武恵妃に入れ知恵して
邪魔な太子達3人が玄宗を襲うように見せ掛ける為の策略にかける。
(503)寿王太子計画が上手く行く所だった矢先武恵妃が亡くなった。
次の太子は忠王ヨにしたいと思う玄宗であったが
李林甫はそれでも寿王を勧め迷う。
皇帝の心を察していた寵臣高力士は助言する。
(504)在位二十年以上の玄宗は当初の政務に対するやる気が倦んでしまう。
(505)玄宗は物凄い美女を見つけた。
名は楊玉環(ようぎょくかん)21歳。
心をわしづかみされた玄宗は
彼女が寿王の妃であるのに我がものとしようとする。
(506)武恵妃がまだ生きていた頃、
玄宗は彼女とは別に梅妃も寵愛していた。
玄宗の寵愛を一心に受ける楊貴妃であったが
梅妃と言う不安があった。
そこで彼女を引き離そうとする。
(507)玄宗が、隠れて梅妃といちゃついた事を知った楊貴妃。
現場へ向かうと、梅妃こそ居なかったが
やった痕跡がちらほら。
怒った楊貴妃は玄宗を責める。
(508)楊貴妃によって、玄宗と引き離された梅妃は
その思いを賦(ふ)にしようとする。
(509)梅妃が作った楼東賦の内容(や玄宗の
未練が有り捲りな様)に激怒した楊貴妃は
梅妃を死罪にしろと迫る。
525:安史の乱の前の話。
名声高き李白が上京した。
そこで賀知章(がちしょう)は彼に会いに行く。
526:唐の高麗攻略後の話。
渤海(ぼっかい)と言う国から使者が来た。
国書を渡されたが誰も読めない。
玄宗なそんな馬鹿なと思いつつ読める者を探す。
527:唐がまだ平和だった時の話。
玄宗は楊貴妃と共に李亀年(りきねん)を始め
様々な楽士を呼び牡丹の宴を開いていたが
もの足り無さを感じ、高力士に言って李白を呼んだのだが。
528:李白がまだ宮廷にいた頃の話。
李白からの屈辱行為を恨みに思った高力士は
奴を追い出す為なんかする。
529:李白が宮廷から追い出された後の話。
李白が幕僚に入った永王リンが独立を謀ったが失敗した。
そのため李白は死罪を言い渡された。
彼に恩があった郭子儀は、彼を助けようとする。
530:李白晩年の話。
過去に宮廷にいた頃とは雲泥の差のある
もの寂しい生活をしている李白であったがそれはそれで楽しんでいた。
そしていつものように、夜の揚子江で酒を飲みながら船遊びする。
531:李白が長安を追われた頃の話。
名門出身の杜甫33歳は、
李白が落陽にやって来たのを知り会いに行き
そのカリスマ性にメロメロになった。
しかし祖母が亡くなった事が重なり
泣く泣く彼と別れ、葬儀を済ませ彼の元へ行く。
532:李白と再会した杜甫は有頂天になって色々楽しむ。
533:玄宗が在野の人材募集の詔を出した。
杜甫は物凄く気合いを入れて試験を受ける。
534:試験に落ちて失望した杜甫であったが
試験以外でもコネで仕官出来るので
名家の出なんだから誰か何とかしてくれるだろうと
その手を使うべく様々な相手に推挙を頼みに行く。
535:名家の出だから何とかなると思っていた杜甫。
しかし父に死を期にどんどん貧窮していき
仕官どころか、その日暮らしすら危うくなる。
536:仕官する為何やかんやで左拾遺(さしゅうい)に就いた杜甫は
これぞ天職だと大いにハッスルするのだが。
537:唐王朝に仕官する道を諦めた杜甫は
安住の地を求め各地を放浪する。
(510)安禄山と言う野心家の男がいた。
彼は玄宗に気に入られる様
皇帝に人を使って良い評判のみ耳に入れる。
511:安禄山はさら玄宗にさらに気に入られる為
楊貴妃にも気に入られようとする。
512:楊貴妃の養子となった安禄山は
部屋で彼女と赤ちゃんプレイをする。
513:玄宗の心をがっちり掴んだ安禄山。
彼の野心を気付いていた李林甫が病死した為
謀反の準備をしていたのだが。
556:安禄山の乱のちょっと前の時代の話。
韓コウと言う、史の才覚は有るが中々官史になれない男が居た。
しかし彼の詩才に惚れ込んだ李生と言う友人のおかげで何とか
及第し、節度史の書記になった。
だが、それまで年頃としていた柳氏と離ればなれになり
更には安禄山が起こり、乱がおさまった後も
柳氏は不明になってしまった。
彼女の身を案じた韓コウは、人をやって柳氏を探す。
514:安禄山は楊国忠を討つと言う名目で洛陽にて戦を仕掛ける。
515:安禄山挙兵でその大軍に勝てぬと読んだ
顔コウ卿(がんこうけい)はわざと降伏して
安禄山を討つ為暗躍する。
516:顔コウ卿(がんこうけい)にしてやられた
安禄山は、部下に討伐に行かせる。
517:安禄山に捕らえられた顔コウ卿(がんこうけい)は
処刑されることになったのだが。
518:安禄山が謀反する中、唐の宰相楊国忠(ようこくちゅう)は
自分に対し不穏な動きがある将、哥舒翰(かじょうかん)を陥れ
無謀な戦いをさせようとする。
519:潼関が敵に落ちた為、落ち延びる玄宗一行。
やっと馬嵬(ばかい)に辿り着いたが
将兵達は不満の声をあげ、楊氏一族を葬ろうとする。
520:行宮を将兵達に取り囲まれた玄宗達
呆然とする玄宗に、高力士が沈痛な面持ちで進み出る。
521:『楊貴妃に死を!』
もはや己の命を断つ以外どうする事も出来ぬ事態になってしまった。
それを告げに玄宗がやって来るだろう。
どうしようもない悲しみを落ち着かせる事はできるのか?
522:楊貴妃を手にかける事になった高力士は
なんとも悲痛な思いで彼女を導く。
523:唐に謀反した安禄山だったが
主に病気の悪化が原因で非常に短気になり
部下の恨みが増してくる。
541:
安禄山の子安慶緒の討伐をするが
結束が悪すぎる上、別個に敵が現れ大敗してしまった。
郭子儀を兼ねてから妬んでいた宦官魚朝恩(ぎょうちょうおん)が
讒言し捲る。
543:安史の乱で河北の地はほぼ掌握された。
しかし抵抗した者達も居た。
顔杲卿(がんこうけい)とその従兄
顔真卿(がんしんけい)である。
そして顔杲卿は捕まり、カの刑に処されるのであった。
544:安史の乱で活躍しその後も名声を轟かせた
顔真卿(がんしんけい)であったが
その剛直な性格故、君臣達と合わず左還されるばかりであった。
そんな彼を煙たく思った宰相盧杞(ろき)は
顔真卿を自称大楚皇帝として唐王朝に背く李希烈(りきれつ)
のを説得しろと言う無謀な命令をくだすのだった!
524:唐の皇帝が玄宗、粛宗、代宗へと変わる中
安禄山の乱が何やかんやで平定した。
557:韓コウと言う、史の才覚は有る男が居た。
うだつが上がらない頃からの柳氏と離ればなれになり
更には安禄山が起こり、乱がおさまった後行方を探し当てた。
そして、勤務地が彼女のいる長安になった為
柳氏を探すが、既に彼女は代宗に気に入られてる
沙タ利(さたり)将軍のモノになっていた。
がっかりした韓コウを見かねた友人許俊(きょしゅん)が
柳氏を奪って韓コウの元へやり、
沙タ利(さたり)将軍対策をとして
韓コウの上司の侯希逸(こういつ)
の手を借りて何とかしようとする。
しかしその後、吐蕃(とばん)に長安を占領されてしまう。
関内(かんだい)副元帥の郭子儀(かくしぎ)は
絶望的に不利な状況(自軍4千、吐蕃20万)の中泣いて将兵を励ます。
538:安史の乱の後、藩鎮(はんちん)の専横が甚だしくなる。
539:藩鎮(はんちん)討伐を決意し、準備する代宗。
しかしそんな事はバレバレなのだぁ!
とばかりに裏で何かしている件。
540:代宗が死に徳宗がたった。
藩鎮討伐をしようとした徳宗であったが
徳宗側で内乱が起きてしまった。
どうにか平定したが、徳宗は己に罪があると
感動的な詔を出す。
542:かつて郭子儀は回コツに慕われていたが
敵になってなんやかんやで内輪もめをしていた。
知った郭子儀は、使者をだし生きている事を
証明する為、丸腰で相手方に向かう。
545:皇帝が玄宗から粛宗、代宗、徳宗、順宗、憲宗となった。
玄宗後から手を焼かさていた藩鎮(はんちん)問題に本気になった憲宗は
淮西の平定する為宰相武元衝(ぶげんこう)に全てを任せ
武元衝は裴度(はいたく)を征討総帥とし討伐する。
546:藩鎮(はんちん)問題に一段落した寧宗は 気のゆるみから段々皇帝としての行動がおかしくなって行く。
547:寧宗から穆宗、敬宗、文宗と次々に宦官達に祭り上げられた。
文宗も宦官によって皇帝になったが
今の国の状況を何とかしたいとずっと思っていた。
そんな中、李訓(りくん)、鄭注(ていちゅう)という
同士が見つかり、宦官の誅滅を謀るのだが
事が運ぶにつれて李訓が鄭注を妬むようになる。
548:寧宗(けんそう)時代の宰相李吉甫(りきつぽ)は
科挙で時勢を痛説して及第した牛僧孺(ぎゅそうじゅ)、
李宋閔(りそうびん)を嫌い、職を就けなかった。
が、憲宋と李吉甫の死後二人は台頭して来るようになった。
李吉甫の子李徳裕はそれを邪魔するのだった。
549:
寧宗(けんそう)の子に怡(い)と言う王子が居た。
彼は今の宦官の専横を憂いていた。
しかし今の身分ではどうする事も出来ないし
もしこの事を知られでもしたら、更に状況は悪化する。
そこで宦官達のやり口から己が『うすのろ』である様演じ続ける。
550:小太宗と名君ぶりを称えられた宣宗であったが
晩年は神仙に凝ってしまうのだった。 551:桂州で駐屯兵達の不満が元で
反乱が起こった。
首謀者はホウクン。
朝廷はたいしたコタないと思っていたが
どっこい事態は悪化する一方。
そこで康承訓(こうしょうぐん)討伐を命じたため
承訓は突厥(トルコ族)の朱邪赤心(しゅじゃせきしん)
をキ下に入れたが、彼等が来る前にホウクンと戦うはめになる。
552:唐王朝が衰退し、そのしわ寄せが
大多数の餓死者に至った。
それを何とかすべく、王仙芝(おうせんし)
兵を挙げ、次々と攻略して行った。
そんな中捕虜になった王リョウは
事有るごとに王仙芝を説得して行く。
553:黄巣は力をつけついには帝位につき
太斉という国号をつけた。
そして唐の官僚達の引き抜きをするのだが。
554:黄巣を見限り、唐に寝返った朱温。
そのまま黄巣軍を倒し、実権を握った彼は
自ら皇帝になるべく何やかやする。
555:まだ唐があった時代の話。
李益(りえき)という微妙な天才詩人が居ました。
若い頃伴侶として誓いあった霍小玉(かくしょうぎょく)を
捨てた為恨み死にされてしまった。
そしてだんだん李益の方もおかしくなっていく。
558:憲宗の時代。
この皇帝が仏教にハマり過ぎて
宮中に仏舎利塔的行動をとろうとしていた。 刑部ジ郎勤務の韓愈(かんゆ)が諌めるのだが。
559:敬宗か文宗の時代。
カ島(かとう)と言う詩人が居た。
ある日詩を作りながらろばに揺られていた所
第四句「僧は??月下の門」
の??をどう表現するか迷い捲る。
560:憲宗の時代。
詩人として名声の高い白居易(はくきょい)が詩を作った。
タイトルは『琵琶行(びわこう)』。
果たしてその内容とは?
561:憲宗の時代。
詩人として名声の高い白居易(はくきょい)が詩を作った。
タイトルは『琵琶行(びわこう)』。
果たしてその内容とは?(560)の続き。
562:憲宗の時代。
詩人として名声の高い白居易(はくきょい)が詩を作った。
タイトルは『琵琶行(びわこう)』。
果たしてその内容とは?(560、562)の続き。
563:憲宗の時代。
詩人として名声の高い白居易(はくきょい)には親友が居た。
その名は元シン。彼も詩人で主に詩でのやり取りを主として居た。
官史になり左還された彼であったが、病で瀕死と成ってしまった。
しかし親友白居易の左還の悲報を知り詩を送るべく製作する。
564:文宗の時代。
杜牧(とぼく)という詩人が作った
「懐を遣る」を元に「揚州夢記」が作られた。
内容:杜牧が昼は真面目で夜は遊び捲るのを
上司の牛僧孺(ぎゅうそうじ)は
心配し、密かにチェックする。
565:文宗の時代。
杜牧(とぼく)は美人の産地として有名な
湖州で知人の協力を得て超絶美人を求めた。
そして、12、3才の美少女を見つけ
自分が10年で太守の座についたら
結婚する約束をし、湖州刺史を目指す。
566:唐を滅ぼした朱全忠(しゅぜんちゅう)こと朱温の話。
彼は三人兄弟の末っ子で小さい頃父を亡くし、
母親が家族揃って住み込みして、働いて世話していた。
住み込み先の畑仕事や家畜の世話を嫌った朱温は
仕事さぼって独学で武術を学ぶ。
567:唐を滅ほす朱全忠(しゅぜんちゅう)と
独眼竜の勇将李克用(りこくよう)の話。
黄巣の乱で一度は皇帝となった黄巣は
唐軍の盛り上がりで落ち目となっていった。
そんな中、元黄巣軍の朱全忠軍は黄巣軍に
襲われ李克用軍に救ってもらった。
そこで、酒宴を開くのだが・・・・
。 568:唐を滅ほす朱全忠(しゅぜんちゅう)の話。
彼と潰す事ができるのは、独眼竜の勇将李克用(りこくよう)。
しかし、策に弱い彼は朱全忠の敵では無かった。
狡猾な彼は、政権を手に入れようとする。
569:唐を滅ほすため朱全忠(しゅぜんちゅう)は
皇帝昭宗を消す為、腹心に殺害を命じる。
彼等達の連れた兵士達を前に、昭宗は一人きり

彼は必死に逃げる。
570:唐を滅ほすため朱全忠(しゅぜんちゅう)は
皇帝昭宗を消し次を継いだ哀帝に無理矢理譲位をせまる。




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五代十国時代編
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