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十八史略東晋(五胡十六国)から宋(南北朝の1つ)設立まで編


このサイトの公開20160306制作ギョロ
320
東晋の時代。
官僚が集まって酒を飲んでいました。
西晋(晋)の時代を思いみな泣いていました。
そんな時、王導(おうどう)という男がみなを励ますのでした。
321
東晋の時代。
祖テキと言う男がいました。
彼は今の東晋の状態を嘆き、匈奴を攻めるのでした。
322
東晋の時代。
王導(おうどう)のいとこが兵をあげました。
王導は周ギに帝への取りなしを頼むのでした。
323
東晋の時代。
王導(おうどう)のいとこ王敦(おうとん)は
石頭(せきとう)城の周札(しゅうさつ)を攻めるのでした。
324
東晋の時代。
石頭(せきとう)城を攻略した王敦(おうとん)は
劉隗(りゅうかい)・チョウ協軍を攻めるのでした。
325
東晋の時代。
帝位さんだつを狙っていた王敦(おうとん)は病気になります。
病気は治るのか?
326
東晋の時代。
蘇峻(そしゅん)という男が勢力をのばしてきました。
彼は兵を起こし、建康の卞壺(べんこん)を襲うのでした。
327
東晋の時代。
宮中に突入した蘇峻(そしゅん)は天子を探すのでした。
328
東晋の時代。
蘇峻(そしゅん)VS陶侃(とうかん)戦で
蘇峻は酒に酔って敵陣に斬り込んでいくのでした。
329
東晋の時代。
陶侃(とうかん)のエピソード。
部下と野遊びに出ました。
すると部下の一人が稲をむしりました。
陶侃はどうするのか?
330
東晋の時代。
大将軍キン準が乱を起こしました。
相国劉曜(りゅうよう)は征討の軍を起こすのでした。
331
東晋の時代。
趙の帝劉曜(りゅうよう)と後趙の帝石勒(せきろく)は争っていました。
いろいろあって、劉曜は捕まってしまいました。
石勒は降伏をすすめるのでした。
332
東晋の時代。
中山公石虎(せきこ)は石勒(せきろく)の死後
後を継いだ弘(こう)を殺し、やりたい放題するのでした。
333
東晋の時代。
石虎(せきこ)死後、将軍達が乱を起こすのでした。
334
東晋の時代。
新帝世を倒した石閔(せきびん)は
新たに帝になった鑒(かん)に命を狙われるのでした。
335
東晋の時代。
漢と言う国ができました。
国を良くする為、皇帝寿(じゅ)はいろいろするのでした。
336
東晋の時代。
慕容(ぼよう)氏でコウが王になりました。
そして国を良くしようとするのでした。
337
東晋の時代。
慕容(ぼよう)儁(しゅん)が閔(びん)という男を捕まえムチ打つのでした。
338
東晋の時代。
ユウ亮という男が国を治めていました。
彼が死ぬと弟の翼(よく)が後をついで国を良くしようとするのでした。
339
東晋の時代。
実力者桓温(かんおん)は漢をせめるのでした。
340
東晋の時代。
後趙のヨ襄(よじょう)が乱で晋に逃げるのでした。
341
東晋の時代。
ヨ襄(よじょう)が殷浩に攻められるのでした。
342
東晋の時代。
庶民に落された殷浩(いんこう)に桓温(かんおん)から尚書令とする手紙が来ました。
喜んだ殷浩は何度も返事の確認をするのでした。
343
東晋の時代。
晋の桓温(かんおん)は秦を攻めるのでした。
344
東晋の時代。
王猛(おうもう)と言う隠者がいました。
桓温(かんおん)は彼と話をするのですが
その際王猛はしきりに虱をつぶすのでした。
345
東晋の時代。
晋の桓温(かんおん)がまた秦に戦いを挑みました。
しかし返り打ちにあうのでした。
346
東晋の時代。
秦で生(せい)が位につきました。
凶暴な生は大勢の人達を死に追いやるのでした。
347
東晋の時代。
燕に走ったヨ襄(よじょう)は洛陽を攻めるのでした。
348
東晋の時代。
桓温(かんおん)軍は、ヨ襄(よじょう)軍を攻めるのでした。
349
東晋の時代。
桓温(かんおん)軍は五万の兵で、燕を攻めるのでした。
350
東晋の時代。
秦と燕が戦うのでした。
351
東晋の時代。
秦と燕が戦うのでした。
352
東晋の時代。
秦に城を包囲された燕主イは逃げるのでした。
353
東晋の時代。 桓温(かんおん)が謝安(しゃあん)を殺そうと
兵をつれ宮中に来ました。どうする謝安?
354
前秦の王猛(おうもう)が病に倒れました。
そして見舞いに来た皇帝苻堅(ふけん)を
諌めるのでした。
355
東晋の時代。
晋に秦が攻めてきました。
撃退しましょう。
356
東晋の時代。
晋の謝安(しゃあん)は軍の総帥謝玄(しゃげん)と囲棋をするのでした。
357
東晋の時代。
晋は秦に攻められるのに手立てがありませんでした。
人々が恐怖におののく中謝安(しゃあん)はどうするのか?
358
東晋の時代。
晋を攻めていた秦は一旦後退する事にしました。
皇帝苻堅(ふけん)ば無事後退できるのか?
359
東晋の時代。
晋では安帝がたちました。
しかし彼は白痴で一人では何もできません。
それを弟の徳文(とくぶん)が世話するのでした。
360
東晋の時代。
謝玄(しゃげん)の死後、王恭(おうきょう)の力を弱める為。
元顕(げんけん)という少年が劉牢子(りゅうろうし)をたぶらかすのでした。
361
東晋の時代。
王恭(おうきょう)に劉牢子(りゅうろうし)が戦いを挑みました
そして計略を仕掛けるのでした。
362
東晋の時代。
殷仲堪(いんちゅうたん)という男がいました。
彼は桓玄(かんげん)に勝ち目のない戦いを挑むのでした。
363
東晋の時代。
道子(どうし)が体調を崩しました。
それを酒で紛らわそうとするのでした。
364
東晋の時代。
元顕(げんけん)が権力を握りました。
それを不満に思った人々は孫恩(そんおん)の宗教に助けを求めます。
孫恩は入信させたり殺したりするのでした。
365
東晋の時代。
王凝之(おうぎょうし)と言う男がいました。
彼のところに賊が襲ってきましたが神に祈るばかり。
そこで凝之の妻が勝ち目のない戦いを挑むのでした。
366
東晋の時代。
孫恩(そんおん)が反乱を起こしました。
対する北府軍の中に劉裕(りゅうゆう)と言う男がいました。
彼は数十人の兵で数千の兵に戦いを挑むのでした。
367
東晋の時代。
元顕(げんけん)が邪魔と思っていた劉牢子(りゅうろうし)は
桓玄(かんげん)と手を組もうとしました。
それを知った劉裕(りゅうゆう)はとめようとするのでした。
368
東晋の時代。
劉裕(りゅうゆう)は、桓玄(かんげん)を倒す為
わずか1700の兵で戦いを挑むのでした。
369
東晋の時代。
桓玄(かんげん)を倒した劉裕(りゅうゆう)は、
北方をおさえる為後秦を滅ぼしにかかるのでした。
370
東晋の時代。
劉裕(りゅうゆう)は、安帝の命を狙っていました。
それに気付いた弟の徳文は兄の一切の世話をするのでした。
381
話は戻って東晋の時代。
後涼にいる僧侶羅什(らじゅう)を得る為
後秦は後涼を攻めるのでした。
382
話は戻って東晋の時代。
道安(どうあん)の高弟慧遠(えおん)は
僧侶羅什(らじゅう)に手紙でコンタクトするのでした。
383 話は戻って東晋の時代。 東晋の桓玄(かんげん)が慧遠(えおん)の教団を整理しようとしました。 慧遠は説得してやめさせようとするのでした。 384
話は戻って東晋の時代。
仏教の広まりを快く思わないサイ浩(さいこう)という魏の重臣がいました。
彼は道士冦謙之(こうけんし)を使い太武帝を
道教の信者にしようと企むのでした。
385
話は戻って東晋の時代。
魏の人々を差別するサイ浩(さいこう)に反感を持った人々は
史官を殺し、サイ浩を見つけて殺そうとするのでした。
386
話は戻って東晋の時代。
曇曜(どんよう)という僧がいました。
彼は凶年対策をするのでした。
371
東晋から宋の時代。
劉裕(りゅうゆう)が東晋を滅ぼし宋(そう)をたてました。
彼の死後魏(ぎ)が宋を攻めるのでした。


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南北朝から隋設立時代
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