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十八史略架空時代編


このサイトの公開20160306制作ギョロ
*注意:此処では資料が古いため夏を架空としていますが
夏の遺跡は発見されているとかなんとかなんで気になる人は調べよう!

1
はるか古代の中国。
神々の一人である女神ジョカは黄土を材料に人間を創造するのだった!
2
はるか古代の中国。
乱暴者の神共工が喧嘩に負けた悔しさで不周山(ふしゅうさん)を破壊してしまった!
その山にあった天柱は折れ、天地は傾き猛獣凶鳥が人々を襲い掛かった!
女神ジョカは天柱を補修して、人々を襲う猛獣凶鳥を退治しようとするのだった!
3
はるか古代の中国。
この地を治めていた黄帝であったが、
異形異ヒンの神、蚩尤(しゆう)が反旗をひるがえした!
果たして黄帝は蚩尤に勝てるのか?
4
はるか古代の中国。
帝堯(ていぎょう)がこの地を治めていた平和なある日
10人いる太陽が10人とも空へ上がって行ってしまった!
地上が火炎地獄と化すのを見、天帝は弓の名手である神ゲイに
太陽達のいたずらをおさめる様命じました。
果たしてゲイは無事おさめる事が出来るでしょうか?
5
はるか古代の中国。
帝堯(ていぎょう)がこの地を治めて九十年。
年老いた尭は、位を舜(しゅん)に譲る事にしました。
それを知った舜の異母弟象(しょう)は両親と示し合わせ
舜を水さらいと称して井戸に落とし生き埋めにしてしまいました。
幸い横穴に隠れていた為舜は生き埋めにはなりませんでしたが
持ってる道具を使い外へ出なければなりません。
果たして外に出られるのでしょうか?
6
はるか古代の中国。
帝堯(ていぎょう)がこの地を治めていた時代。
未曾有の大雨が襲い中国全土に氾濫しました。
尭はコンに治水を命じますが失敗、
そこでコンの息子禹(う)に治水を命じました。
果たして禹は治水を成功するでしょうか?
7
はるか古代の中国夏の時代。
三代目の天子太康(たいこう)は猟が大好き。
国政をほったらかしにして猟をします。
そしていつものように猟をするのでしたが・・・・。
8
はるか古代の中国夏の時代。
暦と天文を司る名門の羲和(ぎわ)となって
十年間がんばって下さい。
9
はるか古代の中国夏の時代。
夏王朝を乗っ取った后(こう)ゲイは
『豚の殿様』とあだ名された嫌われ者伯封(はくほう)を討ちました。
宮殿に入った后ゲイは伯封の母で美しいと有名な玄妻(げんさい)を探すのでした。 10
はるか古代の中国夏の時代。
夏王朝を乗っ取った后(こう)ゲイはであったが
佞臣寒サク(かんさく)と玄妻(げんさい)の企みで殺されてしまった。
異変に気付いた后ゲイの息子は、玄妻に問いつめるのだったが・・・・。
11
はるか古代の中国夏の時代。
夏王朝を乗っ取った寒サク(かんさく)に追い詰められた
夏国の王、相(しょう)は自害してしまった。
残された皇妃はお腹の子供を守るべく里方の有ジョウ国へ向かうのでした。
12はるか古代の中国夏の時代。
夏国の王、相(しょう)が自害して10年。
その息子である小康(しょうこう)は有ジョウ国で成長していた。
それを知った寒サク(かんさく)は脅しをかけて来ました。
このままではいけないと思った小康の祖父は、彼を国外へ逃がします。
小康はその足で虞(ぐ)国へ向かうのでした。
13
はるか古代の中国夏の時代。
夏国の王、相(しょう)の死後、息子小康(しょうこう)は
国を乗っ取った寒サク(かんさく)親子を討つべく力を溜めていました。
そしてついに寒サクを攻めるのでした。
14
はるか古代の中国夏の時代。
夏国の王、相(しょう)の死後、息子小康(しょうこう)は
国を乗っ取った寒サク(かんさく)親子を討つ事を開始、寒サクを討ちます。
父親を討たれたのにも関わらず、息子のギョウは猟をしていました。
小康軍は100匹の猟犬をけしかけるのでした。
15
はるか古代の中国夏の時代。
夏国の王、相(しょう)の死後、息子小康(しょうこう)は
国を乗っ取った寒サク(かんさく)親子を討つ事を開始、
寒サクと息子ギョウを討ちます。
小康軍は残る寒サクの次男、キを討ちにかかるのでした。
16
はるか古代の中国夏の時代。
小康が王になって400年後。
王となったケツはそれはそれは貪欲で残忍な王でした。
ある時、有施(ゆうし)氏を討ったケツは、妹喜(ばっき)という美女を手に入れます。
妹喜に骨抜きにされたケツは玉や象牙をふんだんに使った宮殿を作るのでした。
17
はるか古代の中国夏の時代。
王となったケツはそれはそれは貪欲で残忍な王でした。
家臣の湯(とう)は夏王朝に尽くすのですが、ケツの暴状は改まりませんでした。
そして民衆や諸候達は湯に帰服して行きました。
唯一帰服しなかった昆吾(こんご)が湯の治める殷を攻めて来るのでした。
18
はるか古代の中国夏(か)の時代。
王となったケツはそれはそれは貪欲で残忍な王でした。
家臣の湯(とう)は夏王朝に尽くすのですが、ケツの暴状は改まりませんでした。
そして民衆や諸候達は湯に帰服して行きました
そして湯率いる殷(いん)は夏を攻めるのでした。
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